2009年2月19日(木)マタイ16章 罪を憎み、人を憎まない主イエス


「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。(マタイ16:4)

 ファリサイ派の人びとは、主イエスを「試」します(1節)。マタイによる福音書では、この言葉の用例は、4章の「荒れ野の誘惑」に一度あるだけです。主イエスは、荒れ野で誘惑に勝ち、サタンを退けられました。

 悪魔は、この16章では人間を用いて主イエスを誘惑します。「天からのしるし」を示せという誘いです。しかし主イエスは「ヨナのしるし」という言葉を残して、立ち去られます。その向かわれた先は、十字架でした。ヨナが三日間大魚の腹の中にいたように、主イエスも十字架によって死に飲み込まれます。

 主イエスは、サタンに対しては直接的に戦われました。しかし、人間に対してはその罪と滅びを自ら背負い、十字架と復活によって罪と死に打ち勝ち、罪人を見事に救い出してくださいました。ここに、主イエスの愛と救いの御心が鮮やかに示されています。

 主イエスは、「よこしまで神に背いた時代」を厳しく非難されますが、罪に沈む私たちを敵視せず、ひたすら十字架に突き進んでくださいました。十字架こそ救いのしるしです。