2009年2月14日(土)マタイ15章 神の沈黙は祝福の入り口


そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。(マタイ15:28)

 ここでの奇跡は、いやしだけではありません。カナンの女が、立派な信仰をもてたことも、奇跡です。主イエスは彼女に対して沈黙され、願いを拒絶されました。しかしそうされながらも、主イエスは同時に、苦難を超えて進みゆく大きな立派な信仰を、彼女に与えてくださいました。

 私たちはその所々において、その時々において、困難の中に立たされます。そして私たちは、身を切るような思いで、この女性が発した叫びを自分でも叫び、この女性の祈りを自分でも祈ります。「女は来て、イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』と言った。」(25節)

 困難の中で主に叫び、助けを求める時、主なる神は私たちを見過ごしにはされません。信仰をもって主を見上げるならば、主は、必ず、愛と憐れみをもって答えてくださいます。

 神の沈黙に遭う時にこそ、神は沈黙の背後で私たちの傍にいてくださいます。カナンの女のように、主イエスの沈黙にめげずに祈りましょう。信頼と祈りがあれば、神の沈黙は、私たちの信仰と救いにとって積極的な意味を持つ、祝福の入り口です。