2009年1月15日(木)マタイ3章 罪人は、愛する御子により、神のもとに


イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。(マタイ3:16-17)

 主イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けようとされたとき、ヨハネはびっくりしました。しかし、主イエスは、「今は、止めないでほしい」と言って、受洗者の列に並ばれ、「罪人のひとりに数えられた」(イザ53章)のです。

 このとき、他の受洗者では起こらないことが起こりました。天が主イエスに向かって開いたのです。神の霊が鳩のように主イエスの上に降ったのです。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたのです。

 主イエスの他に、誰も神の愛する独り子ではありません。主イエスの他に、誰も神の御心に適う者はありません。天は主イエスに対してだけ開き、神の霊は主イエスの上にだけ降りました。主イエスの洗礼式は、救い主の働きを開始する、メシアの任職式でもあったのです。

 そして、このメシアに救われた罪人は、「あなたもわたしの愛する子」との御声を聞きます。主イエスを信じる者は、主イエスにのみ与えられていた恵みのすべてと結びあわされ、神の子と呼ばれます。