2009年1月4日(日)詩編1編 いかに幸いなことか…主の教えを愛し


いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。(詩編1:1-2)

神の教えに従う道は祝福へと続き、神に背いた悪の道は破滅へ向かう、とは聖書から示される人生観です。詩編全体の序文に当たるこの詩によって、私たちは神に従う人の道へと招かれます。

自然をモチーフにした二つの道の対比が鮮やかです。「流れのほとりに植えられた木」は葉も青々としていて、豊かな実を結ぶほど内に生命が満ちています。他方、「風に吹き飛ばされるもみ殻」は、吹けば飛ぶような、実りのない軽さです。人の道は、このどちらかしかありません。

「主の教え」が、人を「もみ殻」から「流れのほとりの木」にします。ユダヤの民にとって「主の教え」はモーセの律法を中心とした、契約の言葉であり、生きる拠り所でした。彼らはそれに聞かない罪の道も知っています。神を見失って人間の傲慢が支配する世界の痛ましさを経験しています。

だからもう、神なき道には歩まない。引用聖句で最初に三度も「否」と繰り返して、そこから私たちを導き出してくれた「主の教え」を選ぶ。神を知る人には、教えを歌うことは人生の喜び、神の言葉は愛する対象です。