2020年7月5日(日) 幸いな人

 おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。広島県東広島市西条中央にある東広島教会の牧師をしております、李哲敏(イ・チョルミン)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。お近くに来られる時はぜひ、東広島教会にお立ち寄りください。

 私たちがスポーツ選手やチームを応援する理由はそれぞれ違いますが、究極の理由は代理満足、すなわち彼らの勝利の喜びを通して自分も勝利の気持ちに与りたいということだと思います。一言で言えば「幸せになりたい」からだと思います。

 人間は誰でも幸せになりたいと願います。ところが、この世に真の幸福というものはありますでしょうか。勝利の喜びを通して、嬉しく、感情が高まります。しかしそれは、一時的なものにすぎません。もし負ければ全然幸せになりません。むしろ、かなしくなるし、腹が立つこともあります。

 人間誰もが永遠に変わることのないまことの幸福を求めますが、それをこの世のものからは得られないのは、悲しい事実です。しかし、聖書の詩編1編には、まことの幸福を得る道がある、幸いな人がどんな人であるかが書いてあります。幸いな人は、特に「主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人」(詩編1:2)だといいます。はたして、主の教えがどのようなことであって、それを昼も夜も口ずさむ人が幸いな人だというのか。

 ここでいう「主の教え」は聖書のことです。そして、この聖書は神さまから私たちへのラブレターです。ラブレターをもらった経験のある方はご存知だと思いますが、ラブレターを一度だけ読む人はいません。何回も読みます。覚えるほど読むのがラブレターです。そして、それを読みながら自然に口元があがり、ほほえむようになります。幸せになります。

 神さまから私たちへのラブレターは、神さまは弱くてつたない私たちを愛され憐れんでくださって、その私たちを赦し、罪から永遠の命へと救い出すため、独り子イエスさまを十字架にかけられた。そしてそのイエスさまは復活されて今は父なる神のところにおられ、必ず再び来られる。これを信じて感謝するものは誰でも神の国へ入るという内容です。一言で言えば、神さまは私たちをとっても愛しておられる、ということです。

 誰かに相変わらず愛されるということは本当に幸せなことです。神さまは永遠に変わることのない真実なお方です。私たちがどんな状況に置かれていても、どんな姿であっても神様は私たちをありのままで愛されるお方です。この神さまの愛に感謝し、私たちも神さまを愛しましょう。そして、神さまからのラブレターの聖書を昼も夜も聞き、口ずさむと、あなたもわたくしも永遠に、真に幸いな人になるでしょう。今日、神さまのラブレターを聞いておられるあなたは幸いな人です。