2020年5月24日(日) 「後の祭り」はない知らせ

 おはようございます。高知県安芸市にあります、芸陽教会の大宮季三です。
 さて、「手遅れ」という意味を持つ「後の祭り」という言葉がありますが、この言葉の由来をご存知でしょうか?
 この言葉の由来は、京都の祇園祭から来ているそうです。祇園祭は7月1日から約1ヶ月行われますが、17日の祭りを「前の祭り」、24日の祭りを「後の祭り」と呼んでいたそうです。「前の祭り」がとても賑やかであるのに対し、「後の祭り」は賑やかさがなく、「見物に行っても意味がない」ということから、転じて「手遅れ」という意味を持つようになったそうです。

 ところで、聖書にはこのようなたとえ話が記されています。
 ぶどう園の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために夜明けに広場に行き、1日分の日当を約束し、ぶどう園に送ります。その後、主人は9時にもう一度行き、労働者を雇います、さらに12時にも、そして昼の3時にも主人は広場に行き労働者を雇います。そして、1日の労働がまもなく終わろうとしている5時にも、主人は広場に行き労働者を雇うのです。5時になってもそこにいた彼らは、誰にも雇ってもらえなかった人たちでした。
 さて、労働が終わり賃金が支払われるときに、事件が起こります。夕方の5時に雇われた人にも、明け方から働いている人と同じ賃金が主人から支払われたのです。夕方の5時から働いた人は、それまで誰にも雇ってもらえなかった人たちですから、おそらく、労働力としては低いとみなされた人たちです。しかも、彼らはせいぜい1時間ほどしか働いていないのです。そうであっても、主人は、1時間の時給ではなく、1日分の日当を支払うのです。(マタイ20:1-16参照)

 このたとえ話の主人は、聖書が示している真の神を指しています。真の神は、働いたら働いた分だけ賃金が支払われるという私たちの知っている原則ではなく、少ししか働いていなくても、丸一日働いたものとして、満額の報酬をくださるお方です。

 真の神は、神の子イエス・キリストを遣わし、イエス・キリストを自分の救い主と信じる人々に対して、同じ報いを与えてくださいます。それこそが、聖書の教えている福音「良い知らせ」です。そして、この知らせを聞いているのであれば、それを受け取るのに遅すぎるということはありません。

 聖書には、死ぬ直前で天国行きを決めた人が登場します。
 イエス・キリストが人間の罪を背負い、十字架に架けられたときのことです。イエス・キリストの横に並んで、十字架に架けられた犯罪者がいました。犯罪者は十字架に架けられ、死の直前でイエス・キリストを信じ、その人に対しイエス・キリストは「今日、あなたは楽園にいる」とおっしゃいました。彼は死の直前で「天国」行きを約束され、神の報酬を割引かれることなく、満額受けとることが許されたのです。(ルカ23:39-43参照)

 これまで、このラジオ放送を聞いてきたり、あるいは聖書に興味を持ちながらも、「今さら、この年で教会に行ってもしょうがない。」「これまで自分は全然違う文化に育ってきたから、聖書はわからない。」そういう思いから、教会に行くことをためらってきた方々が、今いらっしゃるかもしれません。しかし、聖書の示している「良い知らせ」を受け取るのに「手遅れ」「後の祭り」ということはありません。

 あなたもイエス・キリストによる「良い知らせ」を受け取ってみませんか?キリスト教会では「良い知らせ」「福音」がきょうも語られています。「後の祭り」はありません。