2019年5月26日(日) 信仰の祝福

 おはようございます。忠海教会の唐見敏徳です。

 旧約聖書にアブラハム、という人物が登場します。しばしば「信仰の父」と形容されるアブラハムは、まさに聖書が語る主なる神を信じ、主の言葉に従って信仰の道を歩んだ人物です。今朝はアブラハムの信仰をテーマにお話ししたいと思います。

 ある時、彼は神がこのように語られるのを聞きました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(創世記12:1-3)

 そして、アブラハムはまさにこの主の言葉に従って旅立ったのです。行く先もわからないまま、ただ主なる神が示される場所に向かって!このとき、アブラハムは75歳でした。

 またある時、アブラハムは、彼に子どもが与えられるだろうとの神の言葉を聞きます。アブラハムとその妻サラには長年、子どもが与えられませんでした。二人はすでに高齢になっており、もはや子供をもうけることはないだろうと諦めていました。跡継ぎのいないアブラハムは、自分の財産を受け継ぐのはダマスコのエリエゼルだと考えていました。

 しかし主なる神ははっきりと「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ」そして、アブラハムはふつうでは起こりえない神の言葉を信じ、神はそれを義とされました。そして実際に高齢のアブラハムとサラにイサクという息子が与えられることになります。

 アブラハムの信仰に関するエピソードは他にいくつもありますが、最も衝撃的なのは一人息子のイサクをいけにえとして献げようとする場面でしょう。主なる神はアブラハムの信仰を試すためにこう言われました。
 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(同22:2)

 この理不尽な神の言葉を聞いたアブラハムは、驚くべきことにそれをそのまま実行しようとします。神の命じられた場所に行き、そこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の上に載せ、そして刃物を取って屠ろうとしたとき、アブラハムの信仰を認める神の声が聞こえてきました。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」(同22:12)

 聖書はアブラハムに関するエピソードを数多く記していて、わたしたちはそこからいろいろなことを学ぶことができます。その中で、特に今朝は、本当にシンプルなことに目を向けたいと思います。それは「主を信じる信仰はすばらしい」ということです。

 アブラハムの生涯の出来事は、信仰によってすべてが導かれていきました。彼が人生の旅路で直面したさまざまな困難は、信仰によって、不思議に解決の道筋が示されました。不可能だと考え、半ばあきらめていたことでも、主を信じる信仰を通して、ひとつひとつ実現していきました。

 この信仰の祝福は、すべての人に開かれています。主なる神は、それを望むならば誰にでも信仰の祝福を豊かに与えてくださいます。