2012年12月30日(日) 主の平安

 おはようございます。芸陽教会の宮武妃呂美です。
 早いもので、今年もあと二日となりました。この一年は皆様にとって、どのような一年でしたでしょうか。
 昨年から今年にかけて、地震や水害、竜巻など、予期せぬ自然災害もたびたび起こり、何気ない日常の生活のありがたさを実感された方も多くいらっしゃるのではないかと思います。自然災害だけではなく、けがや病気、身近な人の死など、時にはうちひしがれて、立ち上がれないほどの失意の中に落ちることもあるかもしれません。
 この世の様々な試練や苦難は、多かれ少なかれだれの人生にも一つや二つやって来ます。そのような苦しみの時、あなたは何によりどころを求めるでしょうか。

 わたしたちは、万事がうまくいき順境の時には、目に見えるもの、地位や名誉、金銭や物質などによって支えられている様に思いがちです。しかし、そうではありません。失意の中ではそのようなものは何の役にも立たないことを思い知らされます。わたしたちは試練や苦しみにあって、はじめて目に見えるものではなく、目に見えないお方に目を注ぐ事ができるのかもしれません。
 目に見えるものは一時的であり、この世だけのものです。しかし、目に見えないお方に目を注ぐ時、わたしたちはこの世のどのような試練の中にあっても、平安な心で過ごすことができます。
 聖書の詩編46編は、神様への不動の信仰を鮮やかに告白しています。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。」(46:2)この詩編は、激しい混乱や不安定な生活に苦しむ魂に、深い慰めと大きな希望を与えます。山々も国々も揺らぎ、戦いも地に満ち、自然や社会の至るところに大きな混乱や不安が渦巻いても、「わたしたちは決して恐れない」と言います。

 真の神を知る者は、失望しないのです。なぜなら、信仰者が信頼を寄せる神様は、「必ずそこにいて」、わたしたちの「避けどころ、砦、砦の塔」となって、助けてくださるからです。神様は、いつも大きな力をもって支えわたしたちをまもっていてくださるのです。わたしたちの外側でどのような事が起ころうとも、心の内に神様をお迎えした者は、いつも魂に平安が与えられるのです。神様から与えられる平安は、この世のどのような試練や苦難をも乗り越える事のできる力です。
 いつもわたしたちと共におられる神様は、神の御子イエス・キリストを救い主として遣わしてくださいました。イエス・キリストは、弟子たちにこう言われました。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな。」(ヨハネ14:27・口語訳)
 このキリストの与える平安は、どのような試練や労苦の中でも、決して失望することのない希望をもたらす平安です。それは、「主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ試練の中にある者たちを助けることができる」(ヘブル5:7・口語訳)からです。
 御子イエス・キリストはその生涯を通して、神様に従ってくださり、わたしたち人類の身代わりに十字架にかけられ、わたしたちの一切の罪をその身に負ってくださいました。この神の御子イエス・キリストが十字架の上でささげられた苦しみがわたしたちの罪の身代わりであると信じる時、わたしたちの心に、尽きる事のない、真の平安と慰めが与えらます。それは神の愛がわたしたちの内に実現したからです。

 新しい年も、この生ける真の神様であるイエス・キリストが年の始めから終わりまで、あなたと共にいてくださり、どのような境遇に置かれても、あなたの心に平安と慰めを与えられ、力づけられますように、と心からお祈りしています。