2012年7月1日(日) 天の国に入る道

 おはようございます。芸陽教会の宮武妃呂美です。
 イエス・キリストは、人々に神様のことについてお話する時に、たくさんのたとえ話を用いて説き明かして下さいました。その中に、天の国についてのたとえ話があります。

 ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を探しに、夜明けに出かけて行きました。主人は、一日1デナリオンの賃金を約束して畑に送りました。
 それから、9時ごろと12時ごろ、そして5時ごろにも広場に行ってみると、何もしないで立っている人がいたので同じ様にしました。こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、労働者たちを呼んで、最後に来た者から順に賃金を払ってやりました。それも、5時ごろ雇われた人たちも夜明けに雇われた人たちも、皆1デナリオンずつでした。1デナリオンは当時の日雇い労働者の一日分の賃金でした。現代の日本で言うならば、一万円相当でしょうか。これには最初に雇われた人達が怒りました。彼らは1時間しか働かない人が1デナリオンなら、1日中働いた自分達はもっと多くもらえると思ったのです。しかも、最後に雇われた人から順に賃金が支払われたのです。
 そこで、主人は彼らにこう言いました。
「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」(マタイ20:13参照)

 たしかに、最初に雇われた人達は、主人と一日1デナリオンの約束をしましたし、その賃金も一日分の労働の報酬としては妥当な額で何も怒る筋合いのものではありません。あなたがもし、最初に雇われた人の立場でしたら、どんな反応を示したでしょうか。やはり文句を言ったでしょうか。文句を言わないまでも、矛盾を感じて、何か割り切れない気持ちになったでしょうか。しかし、もしあなたが、最後に雇われた人でしたらどうでしょう。仕事がなく、一日中不安な気持ちで過ごしている時、夕方近くになって、やっと仕事にありつけ、しかも一日中働いたと同じ賃金を手にしたとしたら。この主人に対して、言葉では言い表せない感謝の気持ちを持ったことでしょう。

 このたとえ話を通して、イエス・キリストはわたし達に何を教えようとしておられるのでしょうか。このぶどう園の主人は、天の父なる神様です。イエス・キリストは、天の父なる神様がわたし達人間の想像をはるかに超える程、心の広い、愛のある、恵み深い御方であるということ。そして、賃金が最後に雇われた者から支払われたのも、人が救われるのはどれだけ働いたから頂けるという条件によるのではなく、ただただ神様からの無条件の恵みによるということを教えているのです。もし、神様からの救いが働きや行いに応じて与えられるのなら、いったいだれが救われるでしょうか。

 聖書には、人は皆罪を犯して天の国に入ることができなくなりましたが、イエス・キリストが完全な犠牲としてわたし達の罪の身代わりに十字架に死んで下さったので、そのイエス・キリストの十字架の死がわたしの為であることを信じるだけで救われると書いてあります。天の国に入る条件は、イエス・キリストへの信仰だけです。

 自分は正しい者と考える人は最初に雇われた人のようです。しかし、自分は罪人で、小さい者と考えている人は最後に雇われた人のようです。十字架による神の恵みを心から感謝し神様の愛を味わうことができる人は、最後に雇われた人です。神様はわたし達の人生という時間の、いつ声をかけて下さるかわかりません。しかし、あなたが今その声を聞いたなら、ぜひ、ぶどう園である教会へ足を踏み入れて下さい。そこには、神様の大きな恵みによる赦しと救いがあなたを待っています。そして、イエス・キリストにこそ、天の国に入る道が示されてあります。