2020年11月26日(木) オルパとルツの決断(ルツ1:14-18)

 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 新約聖書に収められた手紙のほとんどを書いたパウロは、フィリピの信徒に宛てた手紙の中でこう祈っています。

 「あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」(フィリピ1:9-10)

 本当に大切なことを見分けて決断していくためには、豊かな愛が必要だということです。逆に言えば、愛のない決断ほど危ういものはないということでしょう。

 きょう取り上げようとしている個所には、三人の女性の、それぞれの決断が記されています。内容は異なりますが、それぞれ、相手を思いやる心から出た決断です。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 ルツ記 1章14節〜18節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 二人はまた声をあげて泣いた。オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。ナオミは言った。「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい。」ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。 わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになる所に泊まります。 あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に そこに葬られたいのです。 死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」同行の決意が固いのを見て、ナオミはルツを説き伏せることをやめた。

 飢饉を逃れて外国の地へ移住したナオミ家族は、ほどなく一家を支える夫を失い、やがて二人の息子も外国の地で迎えた妻を遺して、相次いで亡くなってしまいました。

 そんな悲しみの続くある日、故郷の国では、再び農作物が実るようになり、かつての生活が戻っていることをナオミは耳にします。ナオミは住み慣れたモアブの地を離れて、故郷に帰る決断をしますが、亡くなった息子たちが迎えた二人のお嫁さんたちをモアブの地に残して、自分ひとりで帰るつもりでした。

 そこまでが先週学んだ個所でした。

 ナオミとしては、遺された二人の若いお嫁さんたちが、自分に気兼ねなく再婚して、幸せになってほしいという愛の心から出た決断です。それに、自分が外国人として暮らしたモアブの地での苦労を、この二人に経験させることは忍びないと思ったからでしょう。イスラエル人にとってモアブ民族は敵とみなされていたので、この二人がナオミの故郷に来ても、嫌な思いこそすれ、いい思いなどするはずもなかったからです。

 やがて、二人のうちの一人、オルパはナオミの望む通り、ナオミのもとを去っていく決断をします。それは、オルパが冷たい女性だったからではないでしょう。それは、ふたりとも、ナオミの言葉を聞いて声をあげて泣いたことからもわかります。その涙は決して嘘偽りの涙ではありません。

 きっとオルパはナオミの自分への愛を感じ取って、離れる決断したのでしょう。また、オルパはオルパなりに、ナオミの辛さを身近に見てきましたので、ナオミが言う「あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから」という言葉を重く受け取ったのでしょう。これ以上、義理のお母さんを苦しめてはいけないと思う愛の決断です。

 もう一方のルツは、同じ愛の思いから、違う決断をしました。ナオミを一人行かせるのではなく、一緒についていこうとする決断です。ナオミから、オルパと同じように自分を離れるよう促されても、その思いは変わりません。

 ナオミはルツに言いました。

 「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい。」

 その言葉に対してルツは、「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」とさえ言いきります。

 ルツの決断には、信仰が絡んでいます。自分が生まれ育った時から信じてきたモアブの神々を捨てて、今やナオミの信じる主なる神を、自分の神と言い切る信仰です。ナオミを愛する愛と同じくらい、ナオミの信じる神への愛をルツは言い表します。

 ここで、ルツがどのようにしてイスラエルの神への信仰を持つように至ったのか、素朴な疑問がわきます。というのは、ナオミ一家を襲った不幸を考えると、その人たちの信じる神が素晴らしい神とは、普通は思わないでしょう。「あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから」とナオミに言わせる神を、誰が信じるでしょう。

 人間的に考えると、何のご利益ももたらさないように見える神を、それでも自分の神だと告白するのには、よほどのことがあるはずです。

 もちろん、まことの神を信じるようになるのは、人間の力ではありません。しかし、ルツがまことの神を知るようになったのは、ナオミたちの一家を通してであったことは間違いありません。特に、自分と同じように夫に先立たれたナオミの生き方を通して、ルツはナオミの信仰を学んだのでしょう。信仰を持ちながらも「わたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから」と本音を口にするナオミ、しかしそれでも、信じ続けるナオミの信仰の姿は、ルツに大きな影響を与えたに違いありません。そこに本物の何かがあるとルツは感じたのでしょう。

 こうしてルツの決断の背後には、主なる神への愛とナオミへの愛がありました。

 最後にルツはナオミに言います。

 「死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」

 ここにも、ナオミに対する愛と、主なる神を信じる信仰が言い表されています。主を信じ、主を畏れて生きる決意です。

 このルツの態度にナオミもとうとう折れてしまいます。ルツの決意が固いのを見て、ナオミはそれ以上ルツを説き伏せることをやめます。

 ナオミはルツの心に芽生えている信仰をないがしろにすることはできないと思ったのでしょう。戻っていく故郷で、この二人が幸せに暮らせるという保証は何もありません。しかし、同じ神を見上げて共に歩むことができる確かな仲間を、ナオミはルツの中に見出したのでしょう。これ以上説得しないというナオミの決断もまた、愛から出たものでした。