2019年2月7日(木) もっとも大切なこと(マルコ12:28-34)

 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 何を大切にして生きていくか、ということは、とても大事なことです。意識しているかしていないかは別として、やはり生きていく上でのポリシーというものは持っているべきだと思います。行き当たりバッタリの生き方では、いつかは行き詰まってしまうでしょうし、何よりも人からの信頼を失ってしまいます。

 もちろん、何も生活の指針を持たないというのも、それを貫き通せば一つの生き方かもしれません。ただ、自分ひとりの世界ならいざ知らず、誰かと一緒に生きていく以上、自分が何を大切にして生きているのか、その方針はしっかりと持っていてほしいと思います。

 ところで、生き方に関することでは、聖書の世界に生きたイスラエル民族ほど、この問題に関心のある民族はありません。よりよく生きるために、日々、神の言葉が研究されました。

 今日取り上げる聖書の個所は、そうしたユダヤ人とイエス・キリストとのやり取りです。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マルコによる福音書 12章28節〜34節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

 今日登場するのは、一人の律法学者です。律法学者というのは、旧約聖書、とくにモーセの律法に精通した専門家でした。モーセの律法を解釈し、具体的な生活に適応させることを研究し実践する人です。その律法学者の一人がイエス・キリストのもとへとやってきました。しかも、それは今までのやり取りの中でイエス・キリストが立派にお答えになったのを見てのことです。

 先週までのところで学んできた、ファリサイ派やヘロデ派、それからサドカイ派の人々の質問は、どれも敵意に満ちたものでしたが、きょう登場してくる律法学者にはそれほどの敵意は感じられません。

 その律法学者がイエス・キリストに尋ねたことは、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」という質問です。こういう質問はユダヤ人の律法学者たちの間では、きっと頻繁になされていたに違いありません。モーセの律法がどれ一つとして大切なのは言うまでもありません。イエス・キリストも「律法の一点一画も滅びることはない」と言い切ったほどに、一点一画に至るまで大切です。

 ただ、数ある大切な戒めの中にも、より大切なものと、そうでないものとの区別ができそうだというのは、モーセの律法を学ぶにつけて、直感できることだと思います。あるいはより中心的な掟と、より周辺的な掟と言ってもよいかもしれません。そういう数ある掟の中にある重要度の問題をこの律法学者は質問しました。

 「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」という律法学者の質問に、主イエス・キリストは先ずはじめに旧約聖書申命記6章5節を引用してお答えになりました。

 「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」

 そして、その言葉に続いて、レビ記19章18節の言葉を引用して「第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」とおっしゃいました。

 この答えは、決して、イエス・キリスト独自の答えではなかったことが知られています。ユダヤ教の中にもモーセの律法の要約としてこの二つを上げた教えがあります。その意味ではイエス・キリストの教えは決してモーセの律法を重んじるユダヤ人の生き方と相容れないものではありませんでした。

 神を愛し、人を愛すること、このことこそが、生きる上での中心に据えられるべきことです。人間が人間として生きるとき、心に留めなければならないことは、神への愛と隣人への愛です。

 この答えは質問に来た律法学者の心を満足させるものでした。「先生、おっしゃるとおりです」と満足げにイエス・キリストの答えをこの律法学者は受け止めます。キリストもまたこの律法学者に対して「あなたは、神の国から遠くない」とおっしゃいました。

 ただ、イエス・キリストの勧める愛の掟が、律法学者の理解と違う点をあえて挙げるとすれば、これらの愛にかかわる戒めの根拠がどこにあるかと言う点です。

 律法学者が神を愛する根拠は言うまでもなく、かつて奴隷のように強制労働を強いられたエジプトから、イスラエルを解放した神の救いの業にあります。それほどまでにイスラエルを愛する神の愛が、イスラエルの側の神への愛を引き出します。

 けれども、イエス・キリストが神への愛を説かれるのは、それよりももっと大きな神の業、これから正になし遂げられようとしている究極の救いの業に根拠があります。もちろん、そのことは律法学者の思いをはるかに越えた救いの業です。それは、神の愛する独り子を罪人の身代わりとして十字架におかけになるほどの神の愛です。この神の愛に応えて生きることが人間に第一に求められていることです。

 同じように第二の戒めについても、新しい側面があります。それは自分が自分を愛すると言う基準で隣人を愛するに留まらず、イエス・キリストがわたしたちを愛してくださったその愛に動かされる隣人愛です。それはイエス・キリストがヨハネによる福音書13章34節でおっしゃっている通りです。

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」

 イエス・キリストを知れば知るほどに、神への愛と隣人への愛がますます豊かにされていくのです。

 イエス・キリストはこの律法学者に対して、「あなたは、神の国から遠くない」とおっしゃいました。しかし、イエス・キリストを通して示された神の愛に気づくことが出来たならば、もっと神の国に近かったことでしょう。

 イエス・キリストと出会うときにこそ、神への愛と隣人への愛が豊かにされるからです。


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