2020年6月2日(火)聖書の中の「はだか」3裸の恥

 いかがお過ごしでしょうか。野島邦夫です。
 聖書の中には、人の裸について印象的な場面があります。今回のシリーズでは、そのような幾つかの箇所を考えています。

 私たちは心を開く相手が欲しい、裸になれる相手が欲しいと願います。しかしその願いは叶いません。むしろ逆に、自分の心に壁を厚く張り巡らして、自分を守ろうとします、隠そうとします。そして、誰にも私の心の中は見えないだろうと安心します。

 実際にそうでしょうか。「神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されている。」とあります。(ヘブライ4:13)神の目には裸、あなたの心の奥底を見透かしておられる神がいる、ということを一度真剣に考えてみましょう。すべての覆いが取り去られて、裸になった自分、ありのままの自分とは、どのような姿でしょうか。

 神の警告の言葉「見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。」(黙示録16:15)神の目には裸は恥ずべきもの、と言われます。
 裸の恥とは何でしょうか。これは今の私たちに当てはめるなら、すべての覆いを取り去られて神の前に人の心が露わになる時、そこでは醜い思いが沸々と絶え間なく湧き上がっているということです。他人は、自分でも、そのことにはなかなか気づきません。