2018年5月24日(木) 弟子たちの議論

 いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。

 最後の晩餐の席で、キリストは弟子たちの中から裏切り者が出ることを予告しました。それを聞いた弟子たちは、誰が裏切り者なのか、と議論を始めます。「議論」と書かれているということは、お互いを批判するような話をしていたということです。そして、その議論はいつしか、誰が自分たち弟子の中で一番偉いのかという議論に移っていきます。

 しかし、考えてみますと、「誰が裏切り者なのか。」という議論と「誰が一番偉いか。」という議論は似ています。どちらの議論でも弟子たちは皆、「自分はお前よりも良い人間だ。」と主張したはずです。こんな情けない話があるでしょうか。

 しかし、ここで話をやめさせようとしても、弟子たちは聞き入れるでしょうか。「私たちはイエス様のことが心配だから話をしているんです。」とか、「私たちはイエス様の弟子としてどうあるべきなのか、という話をしているんです。」と反論することでしょう。人間は自分の愚かさに自分では気づきません。

 ここでキリストは弟子たちに言いました。「いちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」(ルカ22:26)キリストは、人より優位に立ちたいとばかり考えている弟子たちに、そもそも人はどのようにあるべきなのかを教えました。そしてそれは、キリストがご自分の在りようで示してくださっていたことだったのです。