2017年3月21日(火) 語り掛ける声

 いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
 ヨハネによる福音書には真昼に井戸の水を汲みに来る女性が登場します。井戸には町の人たちはだれもいません。昼は暑さを避けるために誰も出歩こうとしないからです。それは寂しい水汲みです。わけのある水汲みです。この女性にはこうしなければならない理由がありました。

 彼女は、結婚に何度か失敗し、今は内縁関係の男性と暮らしていました。狭い町です。世間の目が厳しい時代です。町の人々と彼女の間には大きな目に見えない壁がありました。このようにして聖書について語っておりますと、しかし、私たちの間にもまた、他人と自分を隔てる壁が、いくつもあるような気がしてなりません。そして、その壁は、簡単には乗り越えられないのです。少なくとも私たちにはそう見えるのです。

 ところで、この女性が水を汲みに来ました時に、誰もいないはずのその井戸にただ一人だけ人がいました。それは、主イエスでした。そして、主イエスは「水をください。」と、彼女に語り掛けました。
 この時、主イエスは本当にのどが渇いておられたのかもしれません。しかし、驚いた女性に対して、主イエスは言葉を継いで語られます。「あなたに生きた水を与える。」と。
 くしゃくしゃになっていた彼女の人生、いつも緊張を強いられていた生活、そこに命の水をもたらすのだと言われたのでした。

 このようにして、主イエスは、一人で悩む人のところに自分からきて語り掛け、命を生き返らせてくださるのです。