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おはようございます。山梨栄光教会の関口です。 今朝学びたいみことばは、新約聖書・マタイによる福音書14:14にあります。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた」。 聖書を持っておられますならば、このみことばのすぐ前の個所をご覧いただきたく思います。そこに書かれてあることは、ひどく衝撃的な出来事です。イエス・キリストに洗礼を授けたことで有名な、偉大なる預言者、バプテスマのヨハネという人物が、当時のユダヤ社会を支配していた政治権力者、ヘロデによって殺されるという出来事です。 彼が殺された理由は、何とも理不尽なものです。ヨハネは、ヘロデが重大な罪を犯したので、それを本人に指摘しただけです。ヨハネは逆恨みを買ったのです。それで殺された、というのです。 ヨハネが殺されたという知らせが、イエスさまの耳にも入りました。それを聞いたイエスさまは、舟に乗ってひとり、人里離れたところに行こうとなさいました。なぜイエスさまがひとり人里離れたところに行こうとなさったか、その理由は、聖書には何も書かれていません。 しかし、これはごく普通に考えれば、分かることでしょう。人間同士の関係として、ヨハネとイエスさまは、親戚筋に当たります。そして、ヨハネはイエスさまに洗礼を授けた教師でもあります。とても親しい間柄であったことは、間違いありません。 そのヨハネが殺された。意味もない、理由もない殺され方をした。その知らせを聞いたイエスさまが、深い悲しみをお感じになり、嘆きや怒りさえお感じになったであろうことは、ほとんど確実なことです。 しかし、イエスさまは、その悲しみや嘆きや怒りを、大勢の人々の前で表わすことを、お嫌いになったのではないでしょうか。おそらくその理由で、マタイによる福音書によりますと、イエスさまは「ひとり人里離れたところに退かれた」のです。 ところがその時、イエスさまにとっては、やや困った出来事が起こりました。当時イエスさまに救いを求めていた群集たちが、イエスさまのあとを追いかけてきたのです。 毎年12月になりますと、何人かの方々から丁重なお葉書をいただきます。「喪中につき、新年のご挨拶を控えさせていただきます」。わたしの父が亡くなりました。妻が亡くなりました。娘が亡くなりました。こういう知らせです。書かれている内容は儀礼的なものかもしれません。しかし、その葉書の一枚一枚に宛名を書いておられる遺族の方々の心中を察すると、胸がいっぱいになります。 そして、わたしは、その葉書を読みながら、これを送ってくださったあの方は、この悲しみを抱えながら、なお毎日仕事に出かけておられるに違いない。本当なら布団をかぶって泣きじゃくりたいような時にもなお、多くの人々に接しなければならないのか、と思わされ、現実の厳しさを感じさせられるのです。 イエスさまも、そうだったかもしれません。とても辛い思いをもっておられたかもしれません。しかし、群集たちは、お構いなしで追いかけてくる。イエスさまに救いを求めてくるのです。イエスさまご自身の側に、心の安らぎを求める暇はないのです。 そして、イエスさまは、その大勢の群集たちを見て深く憐れみ、その中の病人を癒された、とあります。ご自分が深い悲しみの中にある時にも、今救いを求めている人々の癒しを優先されたのです。イエスさまがこの世の人々、とくに病める人々を助けるために命をささげておられる姿を、ここに見ることができるのです。 |
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