真の教師が至る境地 | テモテへの手紙一 6章

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テモテへの手紙一 6章

信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テモテへの手紙一 6章6節~7節

真の教師が至る境地

「信仰によるまことの子」と呼ぶほど愛したテモテに、パウロが身をもって示すのは、偽教師ではない「真の教師」が至る境地です。

かつて彼は、迫害されて監獄に収監された際に、その境遇に満足することを習い覚えました(フィリピ4章11節)。いまや人生の最期を見据えて、パウロは自身をヨブとコへレトに重ねています。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」と自らの魂に呼びかけて、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と天を仰ぎます(ヨブ1章21節)。そして、「労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない」との真実を打ち明けます(コへレト5章14節)。

同じ教師の道を志すテモテに、老練な教師は、努力が報われる、とは語りません。自分の働きの実りを見ることも、刈り取ることもない。一切は空である、と語るのです。主から与えられた命も、召しも、働きも、すべてを主にお返しする。僕としての分に徹して、それに満足する。これこそ大きな利得である。そう遺言するのです。この信心の境地を、神の恵みと呼ばずして、何としましょう。

二宮 創(太田伝道所)