回復された神の民の生活 | エゼキエル書 46章

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エゼキエル書 46章

あなたは、朝ごとに無傷の1歳の小羊1匹を、日ごとの焼き尽くす献げ物として、主にささげねばならない。朝ごとに、それをささげねばならない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エゼキエル書 46章13節

回復された神の民の生活

エゼキエルが幻で見た救いの時代の礼拝は、「日ごと」「朝ごと」の礼拝でした。キリストと共に救いの時代が到来した今、私たちのなすべき日ごとの礼拝とは何でしょうか。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ロマ12章1節)。

無傷の小羊イエス・キリストが1回限り、焼き尽くす献げ物としてすでに献げられました。この方によって生かされている私たちは、日ごと、朝ごとに自分の体を神に喜ばれる献げ物としてささげます。それは、日ごと朝ごとに「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようにな」る(同2節)ということです。また、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊」(詩51編19節)ですから、私たちが日ごと、朝ごとに悔い改めることでもあるでしょう。やがて、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラ2章20節)と感じられるほどにされるのです。

赤石 純也(伊丹教会)