恵みにより、信仰によって救われる | エフェソの信徒への手紙 2章

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エフェソの信徒への手紙 2章

事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 2章8節~9節

恵みにより、信仰によって救われる

もし救いが、私たちの優れた善い行いとか、あるレベルまで自分の人間性を高める私たちの努力にかかっているとするなら、だれが救われるでしょう。パウロと共に「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ロマ7章24節)と叫ぶほか、ないのではないでしょうか。

しかし、主の御名はほむべきかな!なんと神は、このような私たちを、御子イエスを心から救い主と信じ、受け入れ、依り頼む信仰だけで、本当に救ってくださるのです。しかも、御子を信じるその信仰も神がくださったのでした。私たちは、「自分の過ちと罪のために」霊的に「死んでいた」者です(2章1節)。従って、自分で救いに至る信仰を生み出すことなどできません。すべては神の一方的な恵みによるのです。「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません」。この感謝をどう表せば良いでしょう。

神よ、あなたの一方的な救いの恵みに感謝し、御名をひたすら賛美いたします!

田村 英典(岡山西伝道所)