神が語りかけてこられる | 申命記 5章23-27節

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申命記 5章23-27節

「我々の神、主は大いなる栄光を示されました。我々は今日、火の中から御声を聞きました。神が人に語りかけられても、人が生き続けることもあるということを、今日我々は知りました。…この大きな火が我々を焼き尽くそうとしています。これ以上、我々の神、主の御声を聞くならば、死んでしまいます。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 5章24節~25節

神が語りかけてこられる

宗教改革者たちは、ひたすらに聖書を読んだ人たちでした。当時の教会の硬直化した教えに縛られることなく、聖書を原語で読み、新鮮な福音の再発見に心を躍らせました。それを人びとに身近な言葉に訳して提供したので、誰もが神の言葉に触れることができるようになりました。あの時代、人びとは「神からの語りかけ」を聞く喜びに満たされていました。

生ける神である主は、聖書を通して、聖霊において、私たちに語りかけてこられます。物言わぬ死んだ神である偶像とは違います。きょうの箇所にあるように、神から直接語りかけられるというのは、本来恐るべきことです。そういう恐るべき御声を、神は聖書に封じてくださり、私たちが触れることができるようにしてくださいました。

今や私たちは、本としての聖書があまりにも身近すぎて、その恐れ(畏れ)を見失っている世代かもしれません。それゆえに、神の言葉に触れる喜びや驚きを見失っているのかもしれません。聖書を通して、きょうも神が語りかけてくださいます。「主よ、お話しください。僕は聞いております」(サム上3章10節)。

坂井 孝宏(湘南恩寵教会)