兄弟を得る | マタイによる福音書 18章

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マタイによる福音書 18章

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 18章15節~16節

兄弟を得る

「兄弟を得る」という「兄弟」とは誰のことでしょうか。それは私を神が愛してくださっているように、神が愛しておられる人のことです。

その兄弟が罪を犯したとき、私たちはどのようにすべきか。それには、いろいろな対処の仕方があると思います。見て見ぬふりをする。私たちは、愛を教えられているのだと言って、その罪を見逃す。罪を指摘し、神に立ち帰るように促す。主イエスは、「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」とおっしゃいました。

教会は、単なる同好の群れではありません。教会は、主イエス・キリストにある群れ、兄弟姉妹の集いです。そうであるならば、口先だけの兄弟としてではなく、真のキリストにある兄弟を得るために、まず、一人で兄弟にその罪を忠告する。それが聞き入れられなければ、二人三人の兄弟と一緒に忠告する。

真の主にある兄弟ならば、必ず悔い改めに至るでしょう。私たちもまた兄弟の忠告を受け入れましょう。神は迷い出た1匹の羊が見つけられるように、罪人の立ち帰りを望み、喜んでくださいます。

中田 稔(丸亀伝道所)