主にある交わりに支えられて生きる | 使徒言行録 21章

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使徒言行録 21章

しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 使徒言行録 21章5節~6節

主にある交わりに支えられて生きる

エルサレムに向かって出発したパウロは、ティルスの港に着きました。その地のキリスト者たちは「霊に動かされ」て、彼に対してエルサレムに行かないように願いました(4節)。また次の寄港地でもパウロが捕えられることを心配して、人びとはパウロにエルサレムには上らないように願いました。

しかし、パウロはそれらの願いを聞き入れませんでした。彼には主にある深い確信と覚悟があったからです。確信とは、いずれローマに行って主を証しすることになるという確信。覚悟とは、主イエスの名のためならば、死んでも構わないという覚悟です。パウロは、主にある確信と覚悟に生きていたのです。

人びとの理解を得られませんでしたが、パウロは孤独ではありませんでした。ティルスを出発するとき、人びとは「妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれ」ました。そして、共に浜辺にひざまずいて祈ったのです。

パウロが確信と覚悟に生きられたのは、このような主にある交わりがあったからです。私たちの信仰の歩みも、真実な交わりによって支えられています。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)