主よ、御もとに | 哀歌 5章

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哀歌 5章

主よ、あなたはとこしえにいまし
代々に続く御座にいます方。
なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ
果てしなく見捨てておかれるのですか。
主よ、御もとに立ち帰らせてください
わたしたちは立ち帰ります。
わたしたちの日々を新しくして
昔のようにしてください。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 哀歌 5章19節~21節

主よ、御もとに

「あなたは激しく憤り、わたしたちをまったく見捨てられました」とあり、哀歌の最後は絶望で終わっているように思えます(22節)。けれども、哀歌は祈りに始まり祈りに終わっています。

契約の恵みに頼るほかすべての望みは絶たれました。1節の「わたしたちにふりかかったこと」は、すべて私たちの罪から出た結果で、主の激しい憤りを受けたものでした。それでも、イスラエルの民は、「あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば」という契約の言葉に期待しています(申30章2節)。

この契約に依り頼むとき、最後の嘆きの言葉は、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」というメシア詩編に重なってきます。主イエスが叫ばれた十字架の言葉は、詩編22編のメシア預言の成就でありました。哀歌は「なにゆえ」との嘆きから始まります(1章1節)が、主に期待する祈りの叫びとして、キリストに結ばれていると言えるでしょう。十字架のキリストを仰ぐことへと導かれます。

熊田 雄二