罪の罰を心から受け入れる | レビ記 26-27章

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レビ記 26-27章

もし、彼らのかたくなな心が打ち砕かれ、罪の罰を心から受け入れるならば、そのとき、わたしはヤコブ…イサク…アブラハムとのわたしの契約を思い起こし、かの土地を思い起こす。彼らが後にした土地は、打ち捨てられている間、安息を楽しむ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 レビ記 26章41節~43節

罪の罰を心から受け入れる

ヨベルの年が定められても、イスラエルはこのとおりに行って、本当の安息を楽しむことはできませんでした。与えられた掟と法を守ることができなかったためです。そして皮肉にも、彼らがその罰として住んでいた土地から連れ去られている間に、土地は安息を得たのでした。

神はまた、「彼らが敵の国にいる間も、わたしは彼らを捨てず、退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだわたしの契約を破らない。わたしは彼らの神、主だからである」と、その慈しみ深さを示されます(44節)。

このような神の慈しみ深さが示されている一方で、人間が献げ物をするときの惜しむ心を神は見抜き、最後に釘を刺すように記しています。「牛や羊の群れの10分の1については、牧者の杖の下をくぐる十頭目のものはすべて、聖なるもので主に属する。この10分の1の家畜を見て、その良し悪しを判断したり、それを他のものと取り替えたりしてはならない」(27章32、33節)。

これほど慈しみ深い神が、私たちを全き服従へと招いておられます。私たちはそれに応える決心をしたいのです。

赤石 純也(伊丹教会)