ひたすら待ち望む人 | テモテへの手紙二 4章

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テモテへの手紙二 4章

今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テモテへの手紙二 4章8節

ひたすら待ち望む人

使徒パウロは、最後の試練の中にいます。獄中にいて、苦労の多かった今までの人生を振り返りながら、最期を覚悟して過ごしています。

パウロに反対する人々がいました。けれども、彼の心は希望に満たされています。福音のためにいろいろなことが起きていますが、待ち望んでいたことに向かって進んでいるからです。パウロは、今や「義の栄冠を受けるばかり」と、確信しています。

その栄冠は、キリストが再び来られる日に授けられます。その日、キリストは正しい審判者として完全な裁きを行われます。行いはもちろんのこと、取るに足りない言葉まで裁かれます。けれども、信仰者にとって、それは罪の赦しが明らかにされて、義の栄冠を受ける日にほかなりません。その日に目を注いで待ち望むことによって、パウロは、このときまで立派に戦い、決められた道を走り通す者とされました。

主が来られるのをひたすら待ち望む人々にはだれにでも、義の栄冠が約束されています。福音のためにいろいろなことがあっても、「かの日」を待ち望むなら、確かな慰めがあります。

貫洞 賢次(札幌伝道所)