しかし神は | 創世記 31章

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創世記 31章

「『ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべてわたしには分かっている。わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。』」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 創世記 31章12節~13節

しかし神は

ヤコブは伯父ラバンの許を去り、故郷へ帰る決意をします。豊かになったヤコブを、ラバンもその息子たちも良く思っていなかったこと、さらに神のご指示があったことが、その理由です。

ヤコブは妻たちに、「最近、気づいたのだが、あなたたちのお父さんは、わたしに対して以前とは態度が変わった。しかし、わたしの父の神は、ずっとわたしと共にいてくださった」(5節)、「わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった」(7節)と語っています。また、追跡してきたラバンにヤコブはこう言います。「神は、わたしの労苦と悩みを目に留められ、昨夜、あなたを諭されたのです」(42節)。

かつて父と兄を欺いたヤコブが、ラバンに欺かれる経験を重ねながら、「しかし神は」と告白できる信仰へと導かれたことに、心惹かれます。私たちは日々さまざまな経験をしています。自分に好意的でない人もいるでしょう。「しかし神はずっと共にいてくださる」ことを信じて、きょうも歩みましょう。

金原 義信(豊明教会)