人を喜ばせるためでなく | ガラテヤの信徒への手紙 1章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

ガラテヤの信徒への手紙 1章

こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ガラテヤの信徒への手紙 1章10節

人を喜ばせるためでなく

一人でも多くの人に福音の恵みにあずかっていただきたいと願い、信じる人が増えることを願って、そのための努力を重ねています。けれども絶えず問われています。「わたしは人に取り入ろうとしているのか。それとも、神に取り入ろうとしているのか」と。周りの人たちをどうしたら納得させられるのか、どうしたら説得できるのか、そのことばかりに思いが集中すると、人びとの歓心を買うだけのご機嫌とりになり、福音が曲げられてしまう場合があります。

どのような時にも決して見失ってはならないことがあります。その中心はわたしがキリストの僕であるという自覚です。愛の深い真実な救い主のものとされていることを覚え、その御方の僕であり続けることです。誤った福音を伝えるなら、キリストの御心のままに生きる僕でなくなります。救われた人間でなくなってしまいます。「わたしはあきれ果てています」と言われるほどに誘惑があります。

自分は誰を喜ばせようとしているのか。人か、神か。改めて問いながら、明日の礼拝日に備えましょう。

西堀 則男