幸いな者 | マタイによる福音書 5章

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マタイによる福音書 5章

「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章12節

幸いな者

5章から始まる山上の説教で、主イエスは繰り返し幸いを語られます。ここで主が語られるのは、神を信じることの幸いです。

「心が貧しい」こと、「悲しむ」こと、「柔和」(これも貧しさや無力であるという意味を含んでいます)、これらはいずれも主イエスご自身に見られる姿です。主イエスは、「わたしは柔和で謙遜な者」(マタ11章29節)であると言われました。主イエスは、貧しさと弱さの中で、十字架の死に至るまで神への従順を貫かれたお方です。それは、罪人である私たちが、主が歩まれた幸いに生きるようにされるためでした。

ここには、主イエスによって地上の幸いに勝る幸いに生きるものとされた、神を信じる信仰者の生き方があります。信仰者は、主イエスのゆえに迫害を受けること、身に覚えのないことで悪口を受けることがあるかもしれません。しかし、「天には大きな報いがある」と言われるように、信仰者には大きな喜びと報いが約束されています。主イエスを仰ぎ、この幸いの道を共に歩みましょう。

宮﨑 契一(那覇伝道所)