主にあって実を結ぶ | イザヤ書 5章

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イザヤ書 5章

イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 5章7節

主にあって実を結ぶ

神は、ユダの人びとを、ぶどう畑にたとえています。神は労を惜しまず、手塩にかけて甘いぶどうが実る良いぶどう畑を夢見つつこれを育てられました。しかし、実際にできたのは酸っぱいぶどうの畑でした(2節)。

礼拝に心が伴わないということは、信仰者の生活のさまざまな場面にあらわれてきます。主なる神は、貧しい者や弱い者が守られる、公平で豊かな社会が築かれることを願われました。しかし、ユダでは強い者が弱い者を食い物にして、血が流され、その叫び声が響き渡っていました。それは決して神の御言葉に耳を傾け、その御心に従おうとする姿勢ではありませんでした。

私たちは、良いぶどう、酸っぱいぶどう、どのような実を結んでいるでしょうか。豊かに良い実を結ぶために、主イエスを信じ、謙って御言葉をしっかり聴く者となりましょう。御言葉をしっかり聴くとは命令を守ることです。その命令とは、主イエスが私たちを愛されたように、私たちが互いに愛し合うことです。それが、主イエスの期待されている良いぶどうの実です。

遠山 信和(静岡教会)