御心をあらわす者とされる | マタイによる福音書 7章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

マタイによる福音書 7章

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 7章21節

御心をあらわす者とされる

「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」

私たちは、神の救いは、信仰によって与えられると確信しています。「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」と言われているとおりです(ロマ10章10節)。「善い行い」によって義と認められようとする試みは無意味なものです。

けれども、主の名を呼ぶだけでいいのかといえば、そうではありません。主の名を呼ぶだけで何も変わらない人は、天の国から拒絶されると言われるのです。

行いによって救われるのではありませんが、信仰には行いが伴います。主を信じ、その名を呼ぶ人は、罪を赦されて主と和解します。すると、主の御心が自分の心に宿ります。その結果として、御心を行う者となるのです。

御心を行うために、何か一生懸命頑張るのでしょうか。そうではありません。救われること自体を神に委ねている私たちは、救われて御心をあらわす者とされることをも日々神に委ね、祈り求め続けるのです。日々御心を行う者とされていきましょう。

長田 詠喜(新所沢伝道所)