心の中で犯す罪 | マタイによる福音書 5章

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マタイによる福音書 5章

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章27節~28節

心の中で犯す罪

イエス・キリストの時代の教師と呼ばれる多くの人たちは、「姦淫してはならない」という戒めを、文字通りに考えていました。そして、一般の人々もまた、そのように教えられていました。ですから、外側で現実に罪を犯さなければ、姦淫の罪に問われることはない、と考えていたのです。

しかし、イエス・キリストは単に外側のこととして命じられているのではない、とされました。すなわち、この戒めを人間の心の中にある思いを問うものとして教えられたのです。

私たちはかつて、このような思いを持っていることに痛みを感じることはありませんでした。むしろ、そのような思いを悲しむことも悩むこともなく、当然のこととしていたかもしれません。

しかし、主イエス・キリストを知った今は、そうではありません。主は、結婚をしている異性をみだらな思いで見ることは、そのまま心の中の姦淫の罪であると言われます。全く身に覚えのない人は誰もいないでしょう。私たちは皆、罪深い者です。しかし、この罪のためにも、キリストは十字架にかかって死んでくださいました。

岡本 惠