礼典の方法としての過越 | 出エジプト記 12章

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出エジプト記 12章

「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 出エジプト記 12章13節

礼典の方法としての過越

きょうは、昨日の続きです。礼典の方法に思いを向けます。

主は、モーセを通して、イスラエル全会衆の清めと贖いのために過越祭をお定めになりました。毎年正月祭日の夕暮れ、家毎に傷のない小羊を屠り、小羊の血を家の入口の門柱と鴨居に塗り、小羊の肉を焼いて食べ、種入れぬパンに苦菜を添えて食べます。苦菜はエジプトでの苦難を、種入れぬパンは腐敗しない共同体を、小羊の肉は霊的滋養を意味しました。過越祭の儀式は、家に塗られた血をご覧になった主がその家を過ぎ越し、その家の者たちの災いと滅びを容赦なさった、歴史的出来事を想起するための「旧約の礼典の方法」でした。

主イエスは過越祭に、最後の晩餐のあるじとしてパンを裂き、それを「わたしの体」と呼んで弟子たちに与え、またブドウ酒の杯を取り、それを「わたしの血による新しい契約である」とおっしゃって兄弟たちに渡しました。その直後、受難の僕イエスは体を裂かれ、血を流されたのです。十字架のキリストこそ、世の罪を取り除く神の小羊でありました。この終末的出来事を想起する聖餐こそ「新約の礼典の方法」です。

二宮 創(太田伝道所)