信仰の心をもって聖餐にあずかる | ヨハネによる福音書 6章

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ヨハネによる福音書 6章

「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネによる福音書 6:51

信仰の心をもって聖餐にあずかる

イエス・キリストは「天から降って来た生きたパン」であり、それを食べた人は「永遠に生きる」ことができます。イエス・キリストは真の命を与える方です。その命を保証するために、主によって定められたのが聖餐式です。

では私たちは、どのように聖餐にあずかったらよいのでしょうか。『ハイデルベルク』問76の答は「信仰の心をもって」受け入れる必要があると教えています。聖餐式で用いられるパンとブドウ酒は、あくまでもパンとブドウ酒です。その実体は変わりません。それゆえ、信仰なしにこれにあずかってもそれは無益です。主イエスの十字架の死を自らの贖いとして受け入れる信仰がなければなりません。

ただし、あずかる人の信仰の力によって、聖餐が有効になるのではありません。聖餐が現実に恵み深いものとなるのは聖霊の働きによります。信仰の心をもって聖餐にあずかるとき、聖霊が現実に働いて、私たちが「罪の赦しと永遠の命」にあずかっていることを確証してくださるのです。まさに主イエスが言われた「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」ことが現実となるのです。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)