全能の神の前で | エレミヤ書 23章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

エレミヤ書 23章

わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。
わたしは遠くからの神ではないのか。
誰かが隠れ場に身を隠したなら
わたしは彼を見つけられないと言うのかと
主は言われる。
天をも地をも、わたしは満たしているではないかと
主は言われる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 23章23節~24節

全能の神の前で

人が神に関心を寄せるとき、その神がどんな力を持つのかをまず知りたがると思います。この場合、神は人間に御利益をもたらす神でなくてはいけません。そうしないと誰も関心を寄せないからです。だから、人々は神を作り出すときに、この神にはどんな御利益があるのかを決めて、そのことを宣伝します。

しかし、聖書の神、この世を造られた神は、決して人間に御利益をもたらす力だけを持っているのではありません。むしろ、聖書は全知全能の神を語っています。その神の力は必ずしも人間の御利益のために働くわけではありません。時には人間を正しい道へと導くために、その全能の力で人間を懲らしめたり、人間を戒めたりすることもあるのです。

預言者エレミヤは、その全能の神を伝えています。神は人間がどんなに遠い所にいても、いくら深い隠れ場に自分の身を隠そうとしても、神がそれを見つけられないことはありません。私たちはその神の御前に生きています。今も生きておられ、我らのすべてをご支配しておられる神の御前に生きていることを覚えて、きょう一日を過ごしましょう。

申 成日(広島教会)