野の花の喜び | マタイによる福音書 6章

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マタイによる福音書 6章

「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 6章28節

野の花の喜び

主イエスは天真爛漫であっけらかんとしておられるな、と思うことがあります。日々の衣食住について、少しも心配しておられません。私たちはと言えば、食い意地が張っていて、食をつなぐことを一生懸命に考えてしまいます。そのような現実を無視して、きょうの御言葉を言われたわけではないと思います。主イエスは、亡き父ヨセフの跡を継いで大工の仕事で一家を支えてこられ、その中で天の父に心から信頼しきっておられたのです。

往年の名ドラマ「裸の大将」の主題歌で、「野に咲く花のように風に吹かれて…そんな風に僕達も生きてゆけたら素晴らしい」と歌われていましたが、ちょうどそれに似て、神の養いに任せきってしまう幸せを、主イエスは教えておられます。

「やさいの時間」というテレビ番組では、一年を通していろんな野菜を育てていきます。子どもと一緒に見ていると、確かに野菜は自分で働きもしないし、紡ぐこともしません。野の花もそうです。それならもっと遙かに大事な私たちの生活を、神が心配してくださらないはずはありません。

梶浦 和城