生まれつきの罪人 | エフェソの信徒への手紙 2章

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エフェソの信徒への手紙 2章

わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 2章3節

生まれつきの罪人

わたしが教会に通い始めたころ、その教会では、口語訳聖書が使われていました。エフェソの2章3節は、口語訳では、次のように訳されています。「わたしたちもみな、…肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生まれながらの怒りの子であった」。

「生まれながらの怒りの子」とはどういうことか。「確かに怒ることはある。でも、自分はそんなに怒りっぽい人間でもない」と、その表現に、違和感を覚えていました。でも、そこは、新共同訳聖書のように、「ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者」という意味だと教えられ、わたしは納得できたのを覚えています。

罪のゆえに生まれながらに、思い、言葉、行いにおいて、心のすべての傾向が、神が嫌われる方向に徹底的に傾いている。それが私たちです。

「生まれながらに」と言いますが、詩編51編7節でダビデは言います。「母がわたしを身ごもったときも、わたしは罪のうちにあったのです」。生まれる前から罪の塊の私たちを、丸ごと赦してくださる。主の赦しの大きさは、どれほどなのでしょう!

芦田 高之(新浦安教会)