リジョイス聖書日課 2017年6月

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2017年6月の聖書日課

ローマ 14章

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 ローマの信徒への手紙 14章17節

今、実感できる永遠の命

「使徒信条」は、「身体のよみがえり、永遠の命を信ず」の順序で信仰を告白しています。身体のよみがえりは、文字通りには主イエスの再臨の時に与えられますから、この順序ですと、永遠の命は、死後はじめて与えら…

ヨハネ 17章

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 ヨハネによる福音書 17章3節

主イエスとの命の交わり

「永遠」とは、国語辞典によると、「(過去・現在から)未来に至るまで、時間を超越して、無限に続くこと」です。すると、「永遠の命」も、どこか抽象的、哲学的な概念であるかのように思えてしまいます。しかし、…

1コリント 2章

しかし、このことは、
「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。 コリントの信徒への手紙一 2章9節

想像を絶する完全な祝福

聖書は、「この生涯の後」の永遠の命が具体的にどのような状態なのかを詳しくは教えていません。その時が来てからのお楽しみです。しかし、「完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる」ことだけは約束…

使徒 2章

一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
…この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 使徒言行録 2章4節~6節

ペンテコステ

今日はペンテコステ。イエス・キリストが十字架に架けられ、3日目に復活なさった後、50日後に聖霊が降臨されてキリスト教会が誕生した記念の日です。 その時の様子を聖書は次のように報告しています。 当時、エルサ…

ハバクク 2章

「見よ、高慢な者を。
彼の心は正しくありえない。
しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」 ハバクク書 2:4

信仰によって生きる

パウロは、ハバクク書を引用し、「正しい者は信仰によって生きる」と語っています(ロマ1章17節)。ハバクク書に出てくる信仰(エムナ)は、真実、偽りのない、という意味です。「真実の神」という場合にも用いられ…

エフェソ 2章

事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 エフェソの信徒への手紙 2章8節~9節

神の恵みによって無償で義とされる

私たちは、空気そして親からいただいた命などは無償でもらっています。おそらくこれらの代価を支払うことができる人はこの世には存在しないでしょう。なぜならそれらの値段を決めることすらできないからです。 同じ…

ローマ 4章

わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。 ローマの信徒への手紙 4章24節~25節

わたしの義の根拠となる主の復活

「義と認める」という言葉は法廷用語です。一度義と認められれば、罪の疑いがあっても、罪が無い者と同じ扱いを受けます。実に、私たちが義と認められるために、主イエスが身代わりとなって十字架で死んでくださり…

2コリント 5章

神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。 コリントの信徒への手紙二 5章18節

神の義による神と罪人との和解

旧約時代、イスラエルの民は、牛や羊などをいけにえとしてささげ、罪の赦しのために神との和解を求めました。しかし、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」(ローマ3章23節)。そのため、アダ…

1ヨハネ 5章

その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。 ヨハネの手紙一 5章11節~12節

ただ神の義である方に結ばれて

『ハイデルベルク』問61の答はこうです。 「自分の信仰の価値のゆえに神に喜ばれる、というのではなく、ただキリストの償いと義と聖だけが神の御前におけるわたしの義なのであり、わたしは、ただ信仰による以外に、…

ローマ 3章

では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。次のように書いてあるとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。」 ローマの信徒への手紙 3章9節~10節

永遠の神の義に生かされつつ

「わたしの良心がわたしに向かって…責め立て」て語ります、「お前は神の戒めすべてに対して、はなはだしく罪を犯しており、それを何一つ守ったこともなく、今なお絶えずあらゆる悪に傾いている」と(問60答)。この…

使徒 3章

その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。 使徒言行録 3章5節~7節

人の力によらない

使徒言行録3章には、エルサレム神殿の「美しい門」のそばで物乞いをしていた、40過ぎの一人の男性が、ペトロの「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という一言で、歩けるようになった奇跡の物語…

ローマ 3章

なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。 ローマの信徒への手紙 3章20節

律法の実行と義

ここで言われている律法の実行とは、割礼を施すという儀式的な事柄を指しています。 創世記17章には、神がアブラハムと結ばれた契約のしるしとして、この割礼という儀式が記されています。この契約は義なる神がアブ…

イザヤ 64章

わたしたちは皆、汚れた者となり
正しい業もすべて汚れた着物のようになった。
わたしたちは皆、枯れ葉のようになり
わたしたちの悪は風のように
わたしたちを運び去った。 イザヤ書 64章5節

善き行いの脆さ

私たちには、御言葉を読み祈ることによって、「きょうも一日主イエスと共に歩もう」との強い決心が与えられます。しかし、一日の歩みの中で予想もしないような出来事にでくわし、相手からの厳しい言葉によって、あ…

イザヤ 11章

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。 イザヤ書 11章:6節

信仰は神からの一方的な恵み

信仰とは望んでいる事柄が今は見えなくても、今それを持っているかのように、やがて実現することを確信することです。そして、この信仰がなければ、神に喜ばれることができないというのです。 信仰の人アブラハムは…

ルカ 17章

「あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」 ルカによる福音書 17章10節

隠れたところで見ておられる神

10節冒頭で、「あなたがたも同じことだ」との主イエスの言葉が語られます。これに先立つ7節から9節には、この世の主人と僕の関係が語られています。そしてその関係は、僕が主人のために命じられたことを果たしても…

2テモテ 4章

わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。…だれにでも授けてくださいます。 テモテへの手紙二 4章7節~8節

絶大な神の力に生かされる

6節でパウロは、自分は「いけにえとして献げられています」と語っています。彼は殉教の死を目前にして、自分の人生を振り返っているのです。「戦いを戦い抜き」、「道を走りとおし」、「信仰を守り抜き」という言葉…

ヨハネ 15章

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 ヨハネによる福音書 15章5節

主イエスから注がれる恵み

ぶどうの木と枝の関係は、お互いがつながっており、木の根から枝をとおして、水分や養分が実へと運ばれ、実が豊かに実るという関係です。それによって私たちは、美味しいぶどうの実を収穫することができます。 主イ…

ローマ 1章

わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 ローマの信徒への手紙 1章16節

聖霊に導かれた救いの宣言

キリスト教会の海外宣教は、エルサレムから遠く離れたローマにまで及びます。パウロは、ローマ訪問に先立って、力強く書き送ります。「福音は神の力」である、と。だから「福音を恥としない」と宣言しました。 ペト…

ヨハネ 3章

イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」 ヨハネによる福音書 3章5節

水と霊とによって生まれる

ファリサイ派に属するニコデモは主イエスに、「あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」と言いました。その時、主イエスは、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見る…

ローマ 10章

実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 ローマの信徒への手紙 10章17節

キリストの言葉に聞く

「信仰」とは何か。そう問われたときに、さまざまな答えが浮かび上がってきます。その一つとして、「神に信頼すること」と答えてみて良いと思います。神を信頼し、いつでも呼び求める。そして、この神を礼拝し、こ…

創世記 17章

あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。 創世記 17章10節~11節

契約のしるし

主はアブラハムと契約を結ばれた時に、わたしは「あなたとあなたの子孫の神となる」(創17章7節)と言われました。神がわたしの神となってくださる。これが、主が結んでくださった契約において一番大切な部分です。…

申命記 30章

あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる。 申命記 30章6節

心に受ける礼典のしるし

主は、ご自分の方から結んでくださった契約に基づき、イスラエルの神となってくださいました。その時、主は「わたしは、あなたとあなたの子孫の神となる」とはっきり断言してくださいました。 その反面、人間は口先…

ローマ 6章

それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 ローマの信徒への手紙 6章3節

イエスに結ばれている

ギリシアやローマの世界に、聖書が禁じている生活習慣が数多く見られました。それは不道徳などの罪として表れます。同時に、これらの罪を生じさせる最も大きな罪、つまり、まことの神から離れるという罪がありまし…

マタイ 28章

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書 28章19節~20節

いつもあなたと共にいる

復活の主イエスは、弟子たちに、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」、「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」、「命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と言われました。洗礼を授けること、…

ローマ 11章

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。 ローマの信徒への手紙 11章36節

神の教会

教会の歩みこそ、人を通して御業をなさる聖霊の働きを物語っています。 日本キリスト改革派教会創立70周年記念宣言の序言の中に、「わたしたちが寄り頼むべきは、自らの力でもこの世の力でもなく『わたしはすでに世…

使徒 2章

すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」 使徒言行録 2章38節

洗礼とは

キリスト教の洗礼とは、何なのでしょうか。『ハイデルベルク』問69の答えによれば、洗礼の見える形は「水の洗い」です。「水の洗い」と言いますと、体や衣服、また食物などを水で洗い、その汚れを落とすことです。…

ローマ 6章

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 ローマの信徒への手紙 6章4節

新しい命に生きる

私たちが受ける洗礼は、「キリスト・イエスに結ばれるため」の洗礼です。神に逆らい、キリストに逆らい、神とは無縁の生活をしてきた私たちが、罪に死んで新しい命に生かされるということです。中には、今までの生…

エフェソ 1章

わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて…くださいました。 エフェソの信徒への手紙 1章7節~9節

キリストの犠牲のゆえに

洗礼の恵みの根拠は何といってもキリストの十字架です。『ハイデルベルク』問70の答は「それは、十字架上での犠牲においてわたしたちのために流されたキリストの血のゆえに、恵みによって、神から罪の赦しを得る、…

ヨハネ 3章

「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。…『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。…霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 ヨハネによる福音書 3章5節~8節

新しく生まれる

わたしが洗礼を受けたばかりのころ聞いた説教で特に心に残ったのが、きょうの御言葉でした。 洗礼は「キリストの血と霊とによって洗われる」とあるように、「霊の洗い」であること、それによって「新たに生まれる」…

マタイ 28章

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書 28章19節~20節

確実に洗われる約束

『ハイデルベルク』問71の答の第一に、きょうの御言葉が記されています。復活の主イエスが弟子に対して語られた言葉です。ここで「すべての民をわたしの弟子」にすること、そして、「父と子と聖霊の名によって洗礼…